アニメ「PSYCHO-PASS」1期目の感想

友人に勧められた作品を観たのがきっかけで、

もう3カ月ほど続けてテレビアニメを鑑賞しているすぐろ。

まさかこんなに熱中するとは思わず、自分自身でもびっくりしている。

今回は「PSYCHO-PASS」というアニメ1期をちょうど見終わったので、

区切りという事もあって感想を書き留めたい。

2012年からアニメで放送が開始されたこの作品。

雰囲気はどことなく攻殻機動隊に似ている。

(作中に登場する槙島)



世界は2112年。

人口の激減と都市部への集中に伴い、

人はシビュラシステムによって管理されていた。

このシステムは、人の精神状態を科学的に分析し、

そのデータを数値化(サイコパス)したあと、

職業適性や欲求実現のための手段などを提供する仕組みである。

同時にシビュラシステムは治安維持の仕組みとして、犯罪を未然に防ぐことに応用されている。

すなわち、サイコパスの数値が危険水域に達した際には、

スキャンによって検知され、公安局が該当者を確保または排除できるようになっている。

そんな社会の中で、主人公の常守朱が公安局の監視官として赴任する。

彼女はシビュラシステムによって、将来を約束されたエリートであり、

上司の宜野座監視官からも期待されるホープだった。

部下には高い犯罪係数を持つ執行官の狡噛慎也、征陸智己、縢秀星、六合塚弥生の4人。

彼女は上司と部下に支えられながら数々の凶悪事件の解決に尽力していくのだが、

これら全ての事件に、裏で関与する槙島という人物が捜査線上に浮上する。

彼の目的はいったい何なのか。

事件を解明する中でこの社会を取り巻く仕組みも明らかになっていく。




単純にSFアクションとしても面白く、

個人的に好きな世界観を醸し出している作品だった。

登場人物が時折り引用する学者達の名言も示唆に富むもので興味深い。

だからこそ、ここでは前回同様、

「PSYCHO-PASS」という作品から個人的に感じたテーマについて書いてみたい。




極端とも思えるほど、システムによって管理され、

将来が約束された不安のない世界。

システムによってひかれたレールを歩めば、絶対に失敗しない。

そんな社会に冷や水を浴びせる様な槙島の凶行。

「僕はね、人は自らの意思に基づいて行動したときみ、価値を持つと思っている。

だから様々な人間に秘めたる意思を問いただし、その行いを観察してきた。 」

槙島は考えることを放棄した人間に、犯罪という凶行を与えることで、

人は自分の自由意志でどのような行動にでるのか、見ようとしたのだ。




この槙島の考え方に自分は共感を覚えると共に、少しの嫌悪を感じた。

まず個人の意思に重きをおく槙島の考えだが、それは全くその通りだと思う。

自分たちが生きている現代でも、システムこそ存在しないものの、

「どの方向へ行けば自分は上手く生きれるか」という価値基準が大半を占めている。

自分もその中の一人だ。

もちろん、これは悪いこととは思わない。

だが、これが幸せになる方法、よりよく生きる道だとも思わない。




自分の周りには、個人の意思で進路を決めている人が多くいる。

大学院で研究に励む知人や先生。

就職を放棄して、自分のやりたい舞台や演劇の道をとった友人。

自分がこの道で上手くやっていけるという保証なしに飛び込んでいった人たちだ。

反対に自分は就職の道を選んだ。

いきたい方向を破棄して、安全な道を歩いた。

失敗をしない生き方と言い換えてもいいかもしれない。

しかしそれは本当に幸せか。




そう感じてしまうのは、実際に生き生きとしているのは、前者の人たちの様に感じることが多いから。

もしかしたら、経済的な収入では「上手くやっていける道」の方がいいのかもしれない。

結婚する時に職業を聞かれて、受けがいいのもこちらかもしれない。

しかし、「人」そのものをみた時、輝いているのは絶対に自分ではなく、彼らの方だ。




槙島の過激な思想を、もうすこし柔らかく表現するとこんな感じになるのかもしれない。

ロボットの様に失敗しないように、せこせこ動いて何になるのか、と。

「失敗」しないようなアドバイスを一方的に押し付けるシステムの言いなりになるのか、と。

しかし、私は個人的に槙島というキャラクターが大嫌いだった。

何故か。

それは一言で表すと「こいつは何様なんだ」と思ってしまうからだ。




「君たちは一体、何を基準に善と悪を選り分けているんだろうね?」

シビュラシステムという善悪を判断する管理システムそのものに疑問を投げかける彼。

何が善で何が悪なのか。

人々にその様な問いを投げかけるが、重大な問題がある。

それは彼自身が「自分の意志で行動しないものは無価値」と断罪している点にある。

何が善で何が悪か、人に問う立場である彼が、

すでに答えを有し、かつその「正義」を実行しているのだ。

彼の「正義」の下に犠牲になった人は数知れず、である。

人に問うような形をとっているように見えて、その実答えの押し付けになってはいないだろうか。




個人的には「上手くいくから」行動する、シビュラシステムに従って行動する、

というのも自分の意志であるようにも思う。

どんな判断にも善悪が無いのであるなら、答えを他者に押し付けることはできない。

槙島の嫌な感じは、この矛盾からくるような気がした。

人にとっての幸せは何か。

そのための判断をどう行っていくのか。

シビュラシステムという極端な話を引き合いに出し、

自分の現実の生き方と照らし合わせて、このアニメを鑑賞するのも面白いかもしれない。

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