夏目友人帳からみる「人間観」
数カ月前から、友人にアニメを勧めてもらい、
好きなジャンル以外のアニメにハマっている。
そんな中で「夏目友人帳」は最近では稀にみるハマり具合だ。
今年から6期目を向かえる人気作品だが、
自分は1期目から観ていなかった。
なので、少しでも早く追い付こうと、
一日1話のペースでコツコツと鑑賞中だ。
知らない人の為に簡単に概説を話すと、
このアニメの主人公は妖をみて、話すことができる夏目貴志。
彼は妖がらみのトラブルに巻き込まれることが多く、
薄気味悪い子供としてイジメられ、忌み嫌われてきた。
そんな時に祖母レイコの遺品から「友人帳」を見つける。
これは祖母が倒して支配した妖達の名前を記したもので、
「多くの妖を使役出来る宝物」として妖の間で有名になっている。
貴志はその友人帳を狙ってくる妖や、名前を返して欲しいという妖との交流をしながら、
彼らの抱える事情や想いを知っていくことになる。
要は人と妖の交流を描いた感動アニメ作品、という訳だ。
しかし、性格が捻じれているすぐろは、
そういう話をストレートにキャッチするのが嫌いな質だ。
もちろん、初めに鑑賞する時はそのまま観る。
人と妖の交流を描く感動作品として、涙と鼻汁なくしてこのアニメは鑑賞できない。
しかし、もう一つ別の見方ができるのではないか、そう思う。
それは、妖が見えるという人に受け入れられない人や、
「妖怪」として忌み嫌われる妖そのもの、の問題だ。
この作品では一般的には夏目や妖は「良く分からないもの」として、
普通の人間からは敬遠されがちに描かれている。
誰もいないのに、一人で喋ったり叫んだりする夏目(レイコに置き換えてもいい)、
人間に悪さしたり、不安にさせる妖。
ちょっと関わりたくない、そう思わせる要素がある。
夏目や妖も肩身の狭い思いで暮らしている。
ただ、そんな彼らにも分け隔てなく接する人がいる。
妖にとっては夏目がその位置にあるだろう。
妖だからと言って、差別や排除しようとすることはせず、彼は自分の意思で判断する。
他方、夏目にとっては、とうこさん、しげるさん等がいる。
なんかおかしいな、と思っていても、それを受け入れ普通に接している。
個人的に、彼らには共通するところがあるように思う。
それは人(妖)の所属や行動で本質を判断しない、という所ではないか。
おかしくて理解できない(そう見える)言動をとる夏目、
忌諱されるカテゴリーに所属する妖。
例え、変だなと思っても、そこで彼らを判断しない。
彼らが何を思い、どういう気持ちで行動しているのか、
斟酌しよう、分かり合いたい、分からない所はそっと受け入れる。
そういう人との向き合い方を感じてならない。
実際に直接、会って話してみて、内面を覗き見て、
この人であれば…そういう想いでいるのではないか。
これは何もアニメの中だけの話ではない。
自分たちが生きているこの社会でも同じことが言えるのではないだろうか。
会社の同僚、友達、家族、恋人。
この人は、なんでこんな行動をするのだろう。
こんなタイプの、この人は私とは合わない、理解できない。
そういう人が絶対に周囲にはいるはずだ。
それは、夏目友人帳のいう所の「夏目」であり「妖」であるのだ。
避けがちな、分かり合えない、距離を置きたい、そんな存在なのだ。
でも、もしこの人であれば…という気持ちがあるのなら(気にならないなら遠慮なくブロック!!)、
その人の行動や所属でなく、気持ちを知ろうと動いてみたらどうだろう。
もしかしたら、このアニメの様に、その人の新しい想いに出会うことができるかもしれない。
そこで、見方が変わるかもしれない。
人の本質とは何なのか。
自分たちは、きちんと人を見ることができているのか。
差別や偏見はいけないと、言っておきながら、
実は自分こそ差別や偏見をしているのではないか。
感動するエピソードが満載のアニメではあるが、
実は人の気付きを促すテーマが、静かに流れているのではないかと思う。
まだ見ていない人は是非ティッシュ箱を隣に置いて、観て欲しいアニメだ。
穴という穴から、汁という汁が出てしまうので。
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